係留観測による黒潮域中深層の流量変動に関する研究

鹿島 基彦

 黒潮は,琉球諸島から銚子沖まで広い範囲にわたって日本南岸域に影響を与え,また,歴史的にも日本と深い関わりのある存在である.全球的な観点から見ると,地球環境の維持・変動機構において,北太平洋亜熱帯循環の西岸境界流として熱の南北輸送を担う重要な役割を果たしている.その解明のために,黒潮の流速や流量を定量的に評価することは最優先課題の一つである.

 これまで,黒潮や北太平洋の西岸境界流である湾流などの研究は数多く行われているが,多くは無流面を仮定した地衡流計算によって流速や流量を推定しているため,それらには不確定な部分が残されてきた.その仮定を用いない絶対的な地衡流速場を求め,より正確な黒潮の流量や熱流量を評価するために,また,直接黒潮の流れを連続的に観測してその変動特性を明らかにするために,黒潮に関する総合的な協同海洋観測(ASUKA)が行われ,その集中観測として約2年間にわたる大規模な係留流速観測が実施された.

 本研究では,ASUKA集中観測における黒潮の中深層に関する係留観測の結果を解析し,黒潮域および黒潮再循環流域における数日周期以下の流速変動,地衡流推定の妥当性,黒潮流路の変動と中規模渦の関係,黒潮の流量変動,黒潮の流速場などの平均構造などを明らかにする.本論文は,以下の8章より構成される.

 第1章は序章であり,これまでに行われた黒潮域と湾流域での観測研究例をあげて本研究の背景を示すと共に,本研究の目的を述べた.

 第2章では,本解析に用いたデータを取得したASUKA集中観測について,特に本研究と関連する部分について述べた.

 第3章では,次章以後では扱わない数日以下の時間スケールの変動について,特に慣性周期近傍の流速変動について検討した.係留流速計の流速データから周期が数日以下の変動成分を取り出すと,沖に行くほど(もしくは低緯度にいくほど)その変動の運動エネルギーが顕著に増加していることを見い出した.特に慣性周期近傍の時計回り成分が卓越していることから,この現象には慣性振動や慣性重力波などが影響していると考えられる.また,この数日以下の周期の流速変動成分に対する内部潮汐の寄与についても考察した.

 第4章では,四国沖黒潮および再循環流域の中深層において,地衡流速が正しく推定できるかどうかを評価した.地衡流平衡の近似は,黒潮等のスケールの現象に対しては,海洋の広い範囲で成立しているとされており,密度場から求めた地衡流速によって現実の流速を推定する手法が広く用いられている.しかし,その推定値の妥当性については黒潮域の特に中深層では検証されていない.四国沖の黒潮の水温躍層付近(深さ700 m層)と,それ以深(深さ1500 mと3000 m層)に設置された流速計の実測流速差を,同時に観測された密度場から求めた地衡流速差と比較し,両者は測定誤差の範囲で良く一致することを示した.従って,四国沖の黒潮および再循環流域において,地衡流近似を用いて,実際に観測された密度場から流速を推定することは(無流面の仮定を除けば)妥当であると考えられる.また,密度場の測点間隔が広いほど地衡流速差が小さめに見積もられる傾向が見られるが,測点間隔が70 km程度までは地衡流の推定は妥当であると思われる.更に,実測流速差に数日程度の時間平滑化を施すことにより,密度場の測点間の平均推定値である地衡流速差との一致の程度が向上することを明らかにした.

 第5章では,四国沖黒潮の流路変動について検討した.密度場観測による水温の平均鉛直分布と係留流速計の水温時系列から,測線に沿った一定深での水温の緯度・時間分布図を求めた.黒潮域の深さ650 dbarでは,7℃の等温線がこの深さで流速が最も大きくなる位置(黒潮流軸と呼ぶ)にほぼ一致し,流軸の指標となることが分かった.トカラ海峡の東で発生した小蛇行などが黒潮下流に伝播することにより,四国沖の黒潮の流路が時おり小さく蛇行することが知られている.ここで求めた流軸位置の時系列からASUKA観測期間中の四国沖黒潮流路には,この小蛇行による約110日周期の変動が卓越して存在することが分かった.また,この深さ650 dbarでの流軸位置と,TOPEX/POSEIDON衛星海面高度計(T/P)データによる地衡流速から推定した海面の流軸位置を比較し,海面の流軸の方が緯度にして0.2〜0.3度ほど岸側に位置し,両者はほぼ同期して南北に変動していることを示し,T/Pのデータからも黒潮の流軸の変動を正確に表現できることが分かった.更に,T/Pデータを用いたASUKA集中観測期間を含む約8年間の海面流軸位置の時系列から,約110日周期の変動は,数年にわたって続く期間と,ほとんど存在しない期間があることが分かった.また,大陸棚斜面の最深部付近では黒潮とは反対向きの強い流れが常に存在することを再確認し,その上層の3000 mでも海底と同様に,黒潮と反対向きの流れが存在することが分かった.それらの変動は700 mと1500 m層を含めて,黒潮の離接岸と連動している.

 第6章では,単位深さ当たりの流量(単位深流量)について検討した.T/Pデータから推定した海面での地衡流速に基づく単位深流量と,深さ700 mと1500 m層での係留流速計により得られた実測値に基づく単位深流量をそれぞれ比較すると,海面と深さ700 mの間には非常に高い相関が見られた.これは,1000 m以浅では地衡流計算に基づく単位深流量の各層間の比率は常に一定である,という従来の研究結果を裏付けるものである.この関係を用いて,深さ700 m層の実測流速から推定した,1000 m以浅の黒潮流量の平均は66 Svであった.また,深さ1500 m層の実測流速から推定した,深さ1000〜2000 m層の黒潮流量の平均は4 Svと見積もられ,1000 m以浅のそれの1/10以下であった.

 第7章では,係留流速計データから求めた,四国沖黒潮の約2年間の時間平均場を示した.流軸の位置が,深さと共に海底斜面に沿う様に沖に移っていることや,黒潮の流れは長期間平均で見ると深さ1500 mまで達していることなどを初めて確認した.

 第8章では,本研究の成果を総括し,今後の展望を述べた.

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